東京都にお住まいの神林幸広さまは、フィリピン出身で難民申請していた奥さま、PADINIT GILLE PANERIOさまのビザ(日本人の配偶者等)取得に際し、ゆだ行政書士事務所に依頼されました。一度、ご自身で申請したものの不許可。その後、ゆだ行政書士事務所を知り、依頼。経緯や手続きなどについて、ご夫婦にお話を伺いました。
(取材:2019年9月)
神林ご夫妻のビザ取得までの流れ
奥様短期滞在(90日)入国日 | 2017年12月17日 |
難民申請日 | 2017年12月20日 |
神林さまとのご結婚日 | 2018年11月9日 |
配偶者ビザ 自己申請日 | 2018年12月3日 |
自己申請 不許可日 | 2019年2月25日 |
当事務所との初回面談日 | 2019年3月26日 |
依頼日 | 2019年5月15日 |
在留資格変更許可 再申請日 | 2019年7月16日 |
許可(ハガキ到着日) | 2019年8月9日 |
まずはおめでとうございます。ご出産予定日は?
ちょうど今日、病院に行ったのですが、来年(2020年)の1月3日が出産予定日と診断されました。おとこの子だそうです。今週の日曜日に引っ越しもありますし、これからは慌ただしくなりそうです。
奥さまが入国されたのはいつですか?
2017年の12月17日です。彼女は2番目の上のお姉さんと一緒に来日。一番上のお姉さんは日本に住んでいて、日本人のご主人の紹介で私達が知り合いました。そのとき、難民申請をしていたのです。
交際期間はどれくらい?
約9ヶ月で、結婚。自分たちでビザ申請をしましたが、不許可になりました。
なぜ、ご自分で申請を?
仲間内でも自分で申請する友だちが多いし、「できるかな」と思ったんです。でも、自分でやってみて不許可になったら行政書士の先生に頼もうとも思っていました。実際、友だちの話でも、難民から日本人配偶者への切り替えは難しいと聞いていましたから、不許可は残念ですけど、不許可も想定内でした。
入国管理局から、不許可になった理由を聞きましたか?
「婚姻の信ぴょう性がない」と言われました。それ以上は確認していませんので細かいことはわかりません。ですから、難民を延長しつつ、インターネットで見つけた経験豊富な湯田先生に相談をしました。
行政書士を選ぶ際の基準はありましたか?
自分で申請してわかったのですが、ビザ申請には専門性が必要だということです。
じつは職場に1人、行政書士がいるのですが、「ビザの専門家でないと難しい」と言われました。そこで、ビザを専門にしている経験豊富な行政書士をインターネットで探して、湯田先生を知ったのです。現在、私たちは東京都下に住んでいますが、湯田先生が埼玉の行政書士であっても専門性が高いので、地域はまったく問題ありません。いまは電話やメールなどでも十分に連絡は取れますし、必ずしも家の近くで専門家を探す必要はないと私は思いましたね。ビザに関する行政書士を選ぶときは、専門性がもっとも重要な選択基準のひとつだと私は思います。
湯田先生に会った第一印象は?
「若い」ですね(笑)。でも、年齢が若くて経験豊富というのは、裏を返せば強みですから。そのビザの専門家である湯田先生から「必ず下りますから」と言ってもらえたので、安心してお願いすることができました。
申請で苦労したことは?
自分は一度、申請した経験があったので、さほどありませんでしたね。でも、一番大変だったのはLINEの画面のスクリーンショットですね(笑) 約1年前からのLINEのすべてのスクリーンショットを撮って湯田先生に提出しましたが、100枚以上ありました。そのほか、スナップ写真も送りましたので大変でした。
ちなみにご自身で申請された時、LINEのスクリーンショットは提出されましたか?
いいえ。提出していません。
友だちから聞いてもそのようなアドバイスはありませんでしたし、インターネット上での情報では、交際の証拠として、「ふたりの写真が必要」という記載があったので、スナップ写真を提出していました。いま考えれば、スナップ写真だけでは、婚姻の信ぴょう性を立証できなかったのかもしれませんね。インターネット上の情報をそのまま真に受けては危険というのは、こういうことなんですね。
湯田先生とのやり取りで印象に残っていることは?
まず、電話すれば即対応してくれるので、安心です。聞くと何でも答えてくれるのも良かったですね。申請中に入国管理局から呼ばれた時でも、先生に電話して、相談することもできました。
終わってみれば、3ヶ月くらいの見通しだった許可も、1ヶ月。ビックリしました。
許可が下りて変わったことは?
やはり、ビザの“しばり”がなくなったことが大きいですね。日本に住むことができますし、仕事もできますから。
今後の人生計画は?
人生計画は、日本で稼いで、フィリピンで余生をいっしょに過ごす。それが一番いい。年寄りまで日本にいて、最後はフィリピンに帰る。そのためにいま、がんばって働いているようなものですよ。
こんな計画を立てられるのも、ビザが取れたからです。湯田先生には、ほんとうに感謝しています。今後は彼女のお姉さんのビザも相談したいですし、末永くよろしくお願いします。
神林さまご夫妻、お忙しいところ、ありがとうございました。
*取材日:2019年9月
*文中に記載されている数値情報等は、
いずれも取材当日のものです。